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2013年4月29日月曜日

4月28日とカメジローさんと60年安保

沖縄タイムスの記事です。http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-28_48613

京都でもキャンパスプラザで「異議あり!主権回復の日」とした集会があったようです。そこで上映された「カメジロー沖縄の青春」という 元那覇市長の瀬長亀治郎さんの半生の映画 見たかったのですが。そこでYouTubより。
 


沖縄 奄美 小笠原が日本から切り離されるなどの内容の サンフランシスコ条約の施行日の28日。政府の「主権回復の日」式典へ関する報道が昨日 今日あたり出ています。
戦争中はもちろん 戦後も苦しい生活を余儀なくされている原因の一つには 米国の基地があります。基地をなくすことができない大元には日米安保条約があるとのこと。以下はウィキペディアより。

「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
1951年9月8日、アメリカを始めとする第二次世界大戦連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際同時に締約された条約が旧日米安全保障条約であり、この条約に基づき、GHQ麾下部隊のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊は撤収した。旧条約は日本の自主防衛力が除去された戦後占領期の社会情勢を前提に、日本政府が米軍の駐留を希望するという形式をとるものであり、また米国の「駐留権」にもとづく片務的な性格を持つ条約であった。
この旧安保条約に代わるものとして岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で新安保条約が署名され(1960年1月19日)、同年6月23日に発効した。新条約では集団的自衛権を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。
新安保条約はその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。当条約は締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されておらず、現在も効力を有している。
新安保条約は、同時に締結された日米地位協定によりその細目を定めている。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定めるほか、その施設内での特権や税金の免除、兵士・軍属などへの裁判権などを定めている。


当時は 命がけで「あんぽ はんたい!」とジグザグデモをされた運動があったと聞きます。

あれから半世紀を越えて生きる私たち、日本のどこにも基地はいりません。核兵器はいりません。平和な世界を望みます。
鹿児島大学の伊藤周平さんが 社会保障を充実することは平和を守ることと新聞に書かれていました。
目の前にはしんどいことが いっぱいあるけれど。
人間らしく生きるために 声をあげていきましょう。今を生きる大人としてできること。










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